最近そのことについて考えさせられる出来事が多い。
自分が信じて頑張って続けていることが、かえってアダになっているのではないかということ。
昔から飽きっぽいし、マメではないし、コツコツ継続することは得意ではない。
そのせいか、かつて多くのことが中途半端であったし、いつも責め、悔いている。
そんな自分が嫌で、一度始めたことは続けていこう、頑張ろう、と努力するようになった。
努力の結果、喜びややりがい、自分の成長を感じることができた。
なので、そうして続けていくことが人生にとっていい目的になり、信条にすらなった。
気がつけば、頑張っている自分、続けている自分こそが正しい、飽きてやめる自分、
放棄する自分、あきらめる自分を許容出来なくなっている。
最近上司にも指摘をもらう。「申し送りで続けてはいけない」「”しないこと”を決めろ」と。
意識しているつもりだが、気がつけば周りには続けてきた理由が明確でないものばかり。
で振り返ると、「これって本当に必要なんだろうか」と。
「何かを得るためには、何かを捨てなければならない。」
当たり前のこと、わかっているのだけれど、どうも好きになれない、理不尽とさえ思えてしまう言葉だ。
一方、日常的に何か事を為さなければならない強迫観念に追われている。
何もしない、ゆっくり気を休める日を過ごしたのは、最近ではいつの日のことか。
それなのに、逆にそんな日が訪れることを恐れ、拒絶する自分がいる。
明日何にもしなくていいよ、と言われたら、日中はともかくとして、夜分には自己嫌悪でおかしくなりそうだからだ。
で今日も続ける。明日も続けるのだろう。強迫観念から解放されるために。
この生活、どこか間違っている気がする。
って難しいもんですよね、
結局、無駄なものが無かったりするじゃ無いですか、
人間毎日同じ物を食べ続けててると、
体調も心もバランスが崩れるんで、
そんな感じの雑食系でいいんじゃ無いでしょうか?
この日記がビジネスに関してのものなら、
どうせ日々プライオリティも変わるんで、
僕らも毎日食べ続けていかなきゃ行けない主食は
種類多くして食べ続けて行こうと思う今日この頃です。
うんうん、わかる。そのジレンマ。
僕の場合はまったく性格は逆のパターンだが同じことを思った。
続けることしかできない僕は、新しいことを始めたいのに勇気がないとか、今まで続けてきたパターンが崩れる怖さみたいなのがある。
だから「捨てなければ入ってこない」という真実は、納得しているというよりも自分にむしろ言い聞かせているパターンだ。
飽きっぽいのは性格なので仕方ないのではないか。むしろ新しいもの好きで次々に標的を変えられるというメリットだと思う方がいいと思う。僕の場合は新しいことをするのに勇気がいるタイプだ。だからiphoneも気になっているのにどうせ使いこなせないだろうと思って持っていない。
そして「続けること」の本当の意味を近年知った。
創業300年の老舗の饅頭やさんはなぜ今も流行っているのか・・・それは味を変えていないのではなく、次々と時代に即した味に変化させているからだ・・・ということ。
サーファーには「keep surfing」とう言葉があるが、なかなかkeepsurfingできている人はいない。
というのは、結婚、出産、転勤、経済事情、子供、体力、他の付き合い・・・等々の理由で、始めたころの状態を保つなんていうのはまずできないのだ。
僕はkeepsurfingのために職業までかえた。車も遠い海に行くのに適したミニバンにした。
つまり、「続けること=変化し続けること」
だと気が付いたのである。
続けるのは難しい。
時代に取り残されてまで続けるのは意味がない。
本当に「続ける」のなら、変化し続けることだという深い意味を知った。
ま、結婚生活も続けるのは変化を受け入れる・・・同じなんですけどねー
久しぶりにmixi入ってこの日記にたどり着いたので、
遅ればせながらコメントをば。
ジョブズも言っている。
「”生”が生み出した最も偉大なものは”死”」だと。
新陳代謝は必然なもので、固執して流れがないと
淀んでしまう。淘汰されてしまう。
やりきったら捨てる、変化を受け入れる。
難しいなぁ〜。
自分も中途半端で流されるだけだからなぁ。
精神衛生上、最近は流される自分を良しとしています(^^;